夏のディズニーリゾートの思い出
水曜日 6月 29th 2016, 2:17 am
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我が家はディズニーの大ファンで、東京ディズニーリゾートへは年に1~2回遊びに行っています。

ディズニーファンとしてはもう少し遊びに行きたいところですが、地方の為なかなか簡単に遊びに行ける距離ではありません。
年々パークチケットも値上がり傾向にありますし、交通費や宿泊費などを考えるとかなりの出費を覚悟しなければならないので、
東京ディズニーリゾートに遊びに行く前は皆で節約生活をしています。

そんな年に数回のお楽しみなので、ディズニーリゾートでは日常生活をすぱっと忘れ、童心に帰って思いっきり遊ぶつもりで行きます。
ディズニーリゾートでの楽しみ方は人それぞれだと思いますが、私は季節毎に行われるイベントを楽しみにしています。
昨年の夏はディズニーランドとシーの夏祭りイベントに行きました。

夏のディズニーは尋常じゃない暑さですし、夏休みやお盆中は混雑必須なのですが、7月の初旬は梅雨や台風が多い為か、思ったより混雑していない事が多く穴場の時期でもあります。
我が家は小学一年生の娘の誕生日が7月と言う事もあり、この時期にディズニーリゾートへ遊びに行く事が多いです。

ディズニーリゾートに行く時にどうしても気になるのが当日の天気です。
雨だとパレードやショーが中止になる事があり、とても残念な気持ちになってしまいますし、パーク内で傘をさしたり合羽を着るのはやはりとても面倒です。
雨だけでなく、風が強い日もショーやパレードがキャンセルになってしまう確率が高いので注意が必要です。

実は昨日のランドの夏祭りも晴天にもかかわらず、風がものすごく強い日だった為キャンセルになってしまったのです。
本当に残念な思いでしたが、思いがけずオープン前のスティッチエンカウンターにテスト運営として入場する事が出来ました。
しかも夫がスティッチにいじってもらい、娘も大喜びでしたし本当にラッキーでした。

翌日のシーの方は予定通りミニーのトロピカルスプラッシュが行われ、全身びしょぬれ状態でシーの夏を満喫できました。
大人の楽しみ方として、シーではお酒が飲めるので美しい景色を眺めながら、ビールとターキーレッグを食べるのもまた格別です。
今年の夏も家族でディズニーリゾートに遊びに行く予定です。

天気の方はもう天の神様にお祈りするしかありませんが、どんな天気であろうと何かしら楽しめるのがディズニーリゾートの凄いところです。
ランドでは風でパレードが中止になりがっかりしていたら、ワールドバザール前の通りにプリンセス達が集まって来てくれて撮影会の様になっていました。
どのプリンセスも綺麗で可愛かったですが、ひときわ目立っていたベルの美しさは本当にため息ものでした。
今年も夏のディズニーリゾートで家族の楽しい思い出を作りたいと思います。



飴をガリゴリ噛み砕く人とそうでない人
木曜日 6月 23rd 2016, 4:35 am
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今日、職場の後輩と話をしたのですが飴を舐め始めてすぐに噛み砕く人とそうでなく人の違いって何なのだろうと話をしました。私は最後まで噛まずに舐める方なのですが母はすぐに噛み砕いてしまいます。飴が嫌いなのかと思えばそうではなく、私より飴は好きでしょっちゅう舐めています。
だったらどうして噛んでしまうのだろうと思うのですが最早癖だと言われたらどうしようもありません。

飴は飴でも棒付きとかキャンデーとかありますが、私は何でも噛み砕くの苦手なので(歯が弱いわけではありません)いつまでも舐めていて口がもごもご動いているんです。仕事している時など舌が痺れてしまいますが、途中で噛んでしまうのは勿体ないですよね。飴ってそもそも舐めるためのお菓子だと思うし、のど飴など噛んでしまったら口の中がスースーして大変な事になるような気もしないでもない。まぁ、甘いから嫌だと言う人もいますが。そういえば煙草を吸っていた人が禁煙のために始めた場合は口寂しくていつまでも舐めてしまうとか言っていました。私は煙草をやった事はないのですが何かが口に入っていないと落ち着かないのでしょうか。そんな事ないと思いたいのですが、飴を舐めたい時って寂しい時なのかもしれません。で、口の中で飴の味が残っている間は舌が動いているようにも思いますから。

飴といえば最近はいろいろな味が出ていますが、私のお気に入りは京都の飴屋さんの飴です。一度その味を知ってしまうと他の飴はちょっと味気なく感じてしまいます。だから年に一回は京都に行って飴を買いだめしてきます。そこのべっこう飴は最高なんです。勿論、他の飴も美味しいのですがべっこう飴は格別です。やっぱりお気に入りの飴があるというのはいいですよね。昔ながらの飴はなかなか手に入りません。最近は機械で多量生産しているものが多いですから。そこの飴は手作りで作っているので沢山は置いていないのですが本当に美味しくて誰にもあげたくないと思ってしまいます。その飴は絶対に噛めません、だって勿体ないですもん。好きなものは大事にいただく、それが一番です。



「絵画」をみつめるその先にあるもの、絵を描いて生きていく。
火曜日 6月 07th 2016, 4:31 am
Filed under: 趣味
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「絵画」というと「画家」とい言葉が連想されるのではないでしょうか。
時代により絵画は様々な役目があり、またその時代を象徴するメッセージがたくさん盛り込まれていたり、時代により実に在り方が変幻自在です。
私も物心ついた頃から絵を描くことが大好きで、周囲にも将来は画家になるんだね、と言われて育ちました。ただ私のなかでは漠然としたイメージが強く、また学校教育の中でも美術の授業というのは時間割の中のほんの少しという印象でした。

先に述べたように、絵を描いて生活をするという具体的な判断材料、つまりは現代社会のなかで職業としてどのような分野の幅があり、会社があり、収入があるのか、このような現実的イメージが曖昧というのが、こうした学校教育のなかでも美術の必要性を感じてこなかった、伝えてこなかった環境もあり、職業としての「画家」が定着しない理由のようにも感じます。
私は「絵画」のなかでも「日本画」を学んできましたが、もちろん絵画といっても油彩やデザインと様々です。ただカテゴライズしても現代は昔より使用する画材も自由ですし、そういった枠にとらわれずに制作する方も大勢います。
例えば私の知り合いの場合、日本画として作品出展されますが、絵画作品には岩絵の具や胡粉を使用しながら木材や鉄を画面に貼り付けていたりします。こうした自由な表現方法にもより、絵画の面白さに目覚める方も多いと思います。

さて、こうしたなかで「絵画」とは美術館で観るイメージの一方で、時代に合わせて在り方が変わっている、厳密には絵画が勝手に変わっているのではなく人々が表現し生み出すものが時代を反映しているのですが、「絵画」と呼ばないだけで実際は若者をはじめたくさんの方が「絵」をかいていますし日常的に触れています。それはスケールであったり公表する場、または何を使用して描いているかでの認識の差だと私は思います。実は多くの人が「絵画」を描いています。
最近はスマートフォンで描くこともできますし、スマートフォンで描いたとしても、何も色鉛筆や水彩画で風景画や人物画だけが「絵画」というのはつまらないと思います。ポップな画風もあれば、水墨画のようなタッチもあります。

このように現代では幅広く、アートのなかでもボーダーレスな環境において「絵を描いて生きていきたい、職業にしたい」という人々が多いなか「不安定なのは当たり前」ではなく、いかに現実的に捉え人生設計がイメージできるような社会になるかということが課題なのではないかと思います。
私の友人は絵画を見るのが好きで自宅にレンタル絵画を常に飾って楽しんでいます。